バイバイ、ママ

医学部に入るため10年近く浪人させられてしまった女性のニュースを見た時、これほど私に似た人がいるのか、と思った。肉体的に虐げられることはなかったが、私も、なにをしてもどうやっても「母の理想の娘」にはなれなくて、母の要求に応え続けていた。

母は新卒で公務員試験に失敗した私に、ずっと手を変え品を変えありとあらゆる公務員試験を受験するように要求した。途中、どうしても家を出たくて違う方向性を提示したものの、母の要求するハードルは越えられず結局公務員試験の勉強に戻ることになった。かれこれ何年やっていたのだろう。根本的に逆らう、という選択肢は浮かばなかったし、じゃあ○○は、次は××を……とたたみかけどこまで行っても満足することのない母は、収入の高い夫がいる知り合いと張り合いたかったのか、近所で自慢をしたかったのか、わからない。

 

幼少期の私は“いい子“ではなかった。そして諍いの多い家の中で、できるだけ責められることを避けようとする癖がついた。しばらくして父が家を出ていき、家の中は母と私だけになって、母の干渉は加速していった。17時をすぎれば「今どこにいるの」とメールがきて、出かけるといえば「誰とどこに行くの」と聞き、友達の話をすれば友達の交際相手にまで母の基準で批判した。

そもそもよほどのことでなければ友人のことから職場のことまでほぼすべて母に話していた時点でかなり歪んでいるな、と思う。けれどその時はやめようと思ってもやめられなかった。

母の要求は就職に留まらなかった。髪を染めるな、ピアスを開けるな、短いスカートを履くな、爪を塗るな、化粧をするな……。正直、母の禁止のせいでいわゆるスクールカーストが下の方だったことは否定できない。高校を卒業してもその規範が緩むことはなかったが、逆らわずにいた。引き出しを漁って「これいつ買ったの」「これいくらしたの」と聞いてくる母に、素直に答えていた。逆らう──なんとなく、自分にそんな権利はないように思えた。とにかく母に従わなければいけない、母に嫌われないようにしなければ、怒られないようにしなければ、ただただそう思っていた。

しかし私は公務員試験の一次試験を通ってもその先採用されることはなく、何年も続く生活にだんだんだんだん苦しくなり、SNSで知り合った何人かの友人に相談すると、「やばいよ」「逃げた方がいいよ」と言われた。

そうか、私はお母さんにとって“いい娘“、というか“母の子ども“である必要はないのか。しばらく図書館で母娘関係の本を読みあさり、自分と母の関係性の異常さを認識し、仕事を辞めて家を出た。

 

家を出て最初にしたことは髪を染めてピアスを開けることだった。やってみれば大したことはなくて、母が言っていた「ピアスを開けると○○になるよ」なんてことは起きなかった。今でもきっと、母は私が家を出た真の理由をわかっていないだろうと思う。わからないまま死んでいくのではないかとも、ジェルネイルを施した爪を見ながら思う。

 

私がとらわれていた「しなきゃ」

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